【吉野綾さんプロフィール】
【吉野綾さんプロフィール】
1972年 神奈川県生まれ。現在同県二宮町在住
1996年 大塚テキスタイルデザイン専門学校II部ウィービング科にて織りを学ぶ
1999年〜2010年まで個展、イベント出展など、カラードウールを活かした毛織物を制作、展示を行う。
2011年〜2013年まで、
家族の都合でサンフランシスコベイエリアで暮らし、
その間、カード織りとダマスク織りに取り組む。
2014年〜現在、
ダマスク織りで毛織物と絹織物を制作し、展示を行う。
ウェブサイト
吉野さんはどのような経緯で織りをはじめたのでしょうか。
−吉野さん
私は絵を描くことが好きで現代アートの専門学校に通い、絵画に取り組んでいました。ものをよく見て、観察しているうちに、次第に物の「質感」に興味が湧くようになりました。
専門学校時代はコラージュなども制作しました。
さまざまな素材を使っているうちに、特に布の質感に惹かれるようになりました。
現代アート勉強をしながら、これは私の道ではないなという感覚がありました。でも、布の質感に興味を持ったことはとても大きかったと思います。
平真知子一級建築士事務所 https://tairaken.com/
絵を描いているうちに、布の質感に興味を持たれたのですね。
その後、どのようにして織りを学んだのですか。
−吉野さん
仕事をしながら大塚テキスタイルのウィービングコース・夜間部へ一年通い、卓上機での織りを学びました。
卒業はせず一年で終了し、高機での制作は独学で書籍から学んで制作をはじめました。
学生を終えたばかりの頃、真木テキスタイルスタジオで短期の販売の仕事をしました。素材を活かした作品作りや展示の仕方など、勉強になることばかりでした。
デザイン自体も工夫やこだわりがありますが、何よりも見た人が素材に注目するようなものづくりがとても素敵だなと思いました。
でも長くそこにいたら自分の作品づくりが憧れていた真木千秋さんの影響を受けすぎてしまいそうで少し怖い、とも思うようになっていたので短期間のアルバイトはちょうど良い機会だったのかもしれません。
そういった感覚や嗅覚がとても表現者気質だと思います。
自分オリジナルの作品を作りたいという意思も感じますね。
ー吉野さん
そういったところは美術が出発点だったからなのか、「自分が何をしたいのか」は、常に主軸にあるように思います。
絵画を辞め、「表現」の方に見切りをつけて、「暮らしに役立つもの」を作りたいという気持ちで布を作り始めたはずなのですが…。
その後はウールでの作品作りをしました。
最初は草木染めをしていましたが、素材に色があるものが面白いなと思うようになり、原毛そのものの色を活かしてウールを紡いで織る作品作りへとシフトしていきました。
ナチュラルカラーの毛織物の制作をメインに、カシミヤやアルパカの紡ぎもしました。
だんだんと羊毛にハマっていってレアシープにも興味を持ち、スコットランドへ原種系の羊を見に行ったりもしました。
ウールの手紡ぎで作品制作をはじめて3年くらい経った頃から個展やギャラリーさんからお声がけいただき企画展での展示販売をしたり、クラフトフェアへ出展したりしました。
その頃は「私は織りで食べていく」という気持ちでしたので、とにかく、毎回の展示に向けて数をこなすようにたくさん制作しました。
そうして10年ほどが過ぎるころ、忙し過ぎてなんだか心が疲れてしまって…。
一度リセットして織りと向き合い直したいという気持ちになりました。
ものづくりをする上では、ゆっくりと実験したり、試作的なことをしたりする時期が必要だと思うのですが、そういった時間が欲しくなってきたこともあると思います。
染織作家として多忙な日々を過ごされたのですね。
いったん織りから離れて、どのように気持ちを切り替えたのですか。
−吉野さん
その頃、仕事で渡米していた夫の滞在が長くなりそうだということで、私も行こうかなという感じで2011年2月にアメリカに渡りました。
渡米すると決めてから3ヶ月くらいでパッと行ってしまいました。その頃日本で持っていた織りの道具はひとつも持たずに。
織り道具を持たずに渡米してからはどのような
暮らしをしていたのでしょうか。
−吉野さん
私は気分転換のつもりで行ったので長くいるつもりはなかったのですが、3年弱ほど滞在しました。サンフランシスコのベイエリア、シリコンバレーに住みました。
現地では、英会話を無料で教えてくれる州立のアダルトスクールへ通い、さまざまな国から来た人たちと、お互い拙い英語で交流しました。
アメリカへはボーダーコリーの愛犬・フィンと、うさぎのたんぽぽと一緒に渡り、旅行に出かけたりして楽しく過ごしました。
写真提供:吉野綾さん
渡米した年は、タペストリー作家さんのクラスに何回か通ったり、原始的なカード織をしたりしました。
また、e-bayで200年くらい前に作られた紡ぎ車を買いました。
文化財を修復する仕事をしていた金工作家の日本人の女性レミさん(http://lemiswork.com/)と知り合い、彼女の工房に通って紡ぎ車の修復を教えてもらいました。
アメリカ滞在後半は、ほとんどの時間をその工房で紡ぎ車の修復をさせてもらって過ごしました。
写真提供:吉野綾さん
―吉野さん
アメリカ滞在中、私が日本で作った作品のホームページを見て夫の会社の方が欲しいと言ってくださることがありました。「作品を気に入ってもらえるんだ」と思っていたところ、夫から「こっちでも織ったら?織機を買おうよ」と言い出してくれました
機織りから離れようとしながらも、カード織りをしたり、紡ぎ車を直したりして手を動かすことが
良いリフレッシュになったのですね。
どのような機織り機を購入されたのですか。
−吉野さん
日本の家には東京手織機の垂直天秤式の大型と小型の織機を持っていたので、同じ機を買うのはつまらないなと思いました。
アメリカで購入できる中古の機をいろいろと調べましたが、高額で大きい機織り機しか売っていませんでした。
そんな時、そういえばダマスク織というものがあったな、と思い出しました。
ー吉野さん
なぜダマスクの機を選んだのかというと、これが不思議なご縁で。
渡米前、滋賀のギャラリーで展示をしていた時、スウェーデン在住の友達から「間違って同じ本を2冊買ってしまったから1冊あげる」とダマスク織の本をもらいました。
絶版になっていて、なかなか手に入らない本でした。
その本を読み、ダマスク織りというのは不思議な仕組みの織りだな、と思ったのが頭のどこかに残っていたのだと思います。そこで、ダマスク織りの機を購入してみることにしました。
写真提供:吉野綾さん
その機が今のご自宅のアトリエにある機織り機ですね。
どちらから購入したのですか。
−吉野さん
スウェーデンのメーカー・エクサベック社からダマスク織のフリーテンションシステムの機を購入しました。アメリカへ配送してもらうまで、半年ほどかかりました。
自由に絵を描くように織りたいと思っていましたが、まずは機の調整に時間がかかりました。
そこから、作品を作れるようになるまでさらに時間がかかりました。
これはなかなか大変だなと思いました。
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